掛川100景 【No.18】 晴明塚
掛川に残る陰陽師『安倍晴明』にちなんだ石塚
陰陽師(おんみょうじ)と聞くと安倍晴明(あべの せいめい)を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
安倍晴明は平安時代の実在の人物。陰陽師は、陰陽道を用いて占いをしたり、天体や気象を観測したりする仕事に就いていた官僚のことです。
安倍晴明は、特に占いの的中率が高く、呪術や祈祷の達人であったと、当時の有力者が記録に残しており、晴明が出向いた先でも数々の逸話を残しています。
そんな晴明ゆかりの地が、掛川市の大渕(旧大須賀町)にある『晴明塚(せいめいづか)』です。
晴明塚をどうミルか?👀
👀01. いつ建てられた? 謎に満ちた不思議な塚
掛川市に残る晴明塚には、次のような伝説が残されています。
その後、雨乞いや伝染病除けの神が宿る塚と信じられるようになり、掛川以外の場所からも晴明塚に参詣に来る人が増えていったそうです。
当時の晴明塚の場所ははっきりせず、「江戸時代に現在とは別の場所にあった」という記録のみが残っています。昭和51年(1976年)に旧大須賀町で伝承の塚を残すことになり、今の場所に再構築されました。
👀02. 江戸時代には雨乞いや疫病除けを願う場所に変わった
江戸時代の記録にも晴明塚のことが残されています。
文久元年(1861年)に遠州横須賀藩の八木美穂(やぎよしほ)が書いた『郷里雑記』には、晴明塚という名称ではなく『石倉の神』と記されています。また、津波除けではなく、雨乞いや疫病除けの神が宿る塚であると紹介されています。
もともと津波を封じ込めた言い伝えの残る晴明塚が、雨乞いや疫病除けを願う場所になったのは、当時の気象状況(干ばつ)や世の中の流行り病の影響だと思われます。
それほど晴明のすごさが江戸時代にまで伝わっていたということですが、現在でもなお晴明塚が残されているということは、人々の願いの強さは変わらず続いているということでしょうか。
👀03. 水にまつわる晴明ゆかりの場〜すすぎ井戸と硯井戸〜
晴明塚の周辺には、晴明ゆかりの井戸の跡があります。それが、浜地区の『すすぎ井戸』と、藤塚地区の『硯井戸(すずりいど)』です。
これらの井戸には、晴明がこの場所で祈祷をおこなった際、硯水(けんすい:墨をする際に硯に入れて使用する水)として利用したという言い伝えや、井戸に津波を封じ込めたという言い伝えが残っています。
また横須賀には、安倍晴明が勧請(かんじょう:神様が降臨するようにお願いすること)したという、晴明塚や硯井戸と関係がある『水神宮(すいじんぐう)』もあり、水に関係する場所が多いのも何か不思議なものを感じます。
👀04. 遠州七不思議のひとつ赤い石の伝説
安倍晴明は津波の災害を防ぐために、あずき色の小石を積み上げて祈祷しました。
現在の晴明塚にも赤い石が積まれており、周辺の地域にも、赤石を祀った神社や赤石をお供えした地蔵様が存在します。このことから、赤い石には何かしらのパワーが宿ると信じられていることが伺えます。
なお、晴明塚の赤い石には、『遠州七不思議』のひとつに数えられる言い伝えがあります。
それは、江戸時代に疫病が流行したころのこと。晴明塚に祈願に訪れた人が、赤い石1個を晴明塚から借りていき、お礼の時に2個にして返すと、返した石がどんな色の石でもあずき色に変わったというものです。
現在の晴明塚を見ると赤い色以外の石も積まれていますが、いつかあずき色に色を変えるのかもしれません。
◼️ 抜け道&寄り道100景~晴明塚
掛川市以外だと晴明塚はどこにある?
遠州七不思議は、実際には10以上の不思議が紹介されている
『古事記』の中に強大な力を宿す赤い石の話がある