掛川100景 【No.28】 馬喰橋
柱に馬の顔!? 宿場近くの様子を今に伝える馬喰橋
掛川市にかつてあった東海道の宿場のひとつ掛川宿。その掛川宿の近くを流れる逆川には、馬の顔がモチーフになった親柱を持つ『馬喰橋(ばくろうはし)』という橋があります。
全長50メートル、幅16メートルある馬喰橋は、このあたりが馬に由縁のあった土地だったことを今に伝えています。
馬喰橋をどうミルか?👀
👀01. 暴れ川に架けられた土で作られた馬喰橋
『馬喰(ばくろう)』は、馬の良し悪しを見て、その売買や周旋を行う職業のことで、馬医としての役割も担っていたそうです。
文化2年(1805年)ごろに作られた藩の地誌『掛川誌稿』には、掛川の地に馬喰村(ばくろうむら)という村があったことが記されています。掛川に宿場町が形成され、その近くに馬を扱う人が集まり村となったと思われますが、馬喰が実際にいたかまでははっきりとしていません。
『掛川誌稿』によると、馬喰村は、近くの川(現在の逆川と思われる)の氾濫によって、荒地となった後に開墾された地でした。そしてそこに架けられた馬喰橋は長さ二十三間(約41.8m)の土橋だったそうです。
氾濫するような川にかけられた土の橋とは、いったいどのような橋だったのでしょうか。
👀02. 逆川治水によって馬の顔の馬喰橋が完成
昭和57年(1982年)に台風18号が上陸して、市の中心部の葛川から掛川間にある繁華街に濁流が流れ込み甚大な被害をもたらしました。
その後、昭和57年(1982年)~昭和61年(1986年)の5ヶ年事業により河川の大改修が行われました。総額39.7億円をかけたこの改修で、逆川にかかる橋の改修も行われ、その中に馬喰橋もありました。
現在の、馬の顔をモチーフにした親柱のある馬喰橋は、このときの改修でできたものです。
👀03. 当時の様子を伝える葛川一里塚と秋葉常夜灯
馬喰橋のすぐ横には『葛川一里塚』と書かれた碑があります。
一里塚とは、江戸の日本橋を起点として、主な街道の側に1里(約3.9km)ごとに設置された塚(土盛り)のことです。この塚は日本橋から数えて58番目の一里塚とのこと。
また『秋葉常夜灯』という石灯篭もあります。
秋葉常夜灯は、火伏せの神として信仰されていた秋葉山へと続く参道に設けられていたものですが、それ以外にも、火伏せの神への信仰や地域内の安全を祈願して各地に設けられました。
馬喰橋や周辺の史跡を見ながら、馬がいたころの東海道を往来する人々や暮らしている人々の様子を想像し、現在の様子と比べてみるのも面白いと思います。
◼️ 抜け道&寄り道100景~馬喰橋
馬喰橋以外の橋の親柱には、どのようなモチーフが使われている?
秋葉山常夜燈は、静岡県 西部だけで150 基以上存在している