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掛川100景 【No.21】 掛川独自の地名

市民にとって大切な『掛川』という地名

2005年4月1日、旧掛川市、大東町、大須賀町が合併して、現在の『掛川市』となりました。市には202の自治区と81の小区があり、33の地区として構成されています。

『掛川』という名前の由来にはさまざまな説が存在しています。また市内の各地には、さまざまな由来がある地名があります。

市民の方には馴染みのある地名でも、その由来となるとご存じない方も多いかもしれません。今回は、掛川の各地域で使われている地名について、その由来や成り立ちの手がかりを探ります。


掛川独自の地名をどうミルか?👀

👀01. 諸説ある『掛川』の名前の由来

『掛川』の名前の由来には、市内の中心部を流れる逆川(さかがわ)をもとにした説がいくつかあります。

01. 川の流れが、切り立った崖のように見えることから「缺けた(かけた)川」と呼ばれ、次第に略されて【懸川】となり、掛川と改名されたという説。
02. 川に面して崖の欠けたところに立地していたため【崖川】と呼ばれ、それがなまって掛川となったという説。
03. 川がたびたび水害をもたらしてきた暴れ川であり、堤が欠けた(決壊した)ことから【欠川】となり掛川になったという説。

室町時代に書かれた「宗長日記」に「懸川」という地名が登場していたり、鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」の中に「懸河辺」との記述があったりなど、地名が記録として残っているものはありますが、言葉の由来がはっきり示されたものはありません。

みなさんはどの説がしっくりくるでしょうか?

掛川城近くを流れる逆川

👀02. 当時の風景が思い浮かぶ地名の数々

全国的にみても地理的な要素が由来になっている地名は多くあります。掛川市の地名の中にも、その場所の地理的特徴をもとにつけられた地名が存在しています。

満水(たまり)
岩滑(いわなめ)
梅橋(うめばし)
大池(おおいけ)
下俣(しもまた)
徳泉(とくいずみ)など

読み方の難しい地名もありますが、名前がつけられた当時の場所の風景が思い浮かんでくるものも多いです。

👀03. 歴史上の人物や伝説が関係している地名

掛川市内には歴史的にも重要な場所や建物が多く残されています。歴史に関連する地名も数多くあり、その名前の由来も面白いものがあります。

『大渕(おおぶち)』:
源頼朝が富士の巻狩りの際に、この付近で馬のむちを探させたことから「むち」が「ぶち」になまったという説がある
『日坂(にっさか)』:
箱根とならぶ東海道の難所小夜の中山の西側に位置したことから、古くは「西坂」と呼ばれ、しだいに言葉が転じて「日坂」と呼ばれるようになったとのこと。
『十九首(じゅうくしゅ)』:
平将門とその家臣19人が討たれて京都へ運ばれる途中、掛川で首実験が行われた。その首が埋葬されたことから『十九首』という地名が付いた。

歴史的背景のある地名は、当時の様子や物語が付随していて、知る楽しみが多くあります。

十九首塚塚周辺は史跡公園となっています
十九首にある公民館

👀04. 手記から読み解く?市民の地名への関心

掛川市中央図書館に『掛川地名しらべ/掛川歴史教室編』という書籍が貯蔵されています。

この書籍は、各地区単位で担当者が割り振られ、それぞれの担当者が調べた地名の由来が記述されているものです。担当者が手書きしたものがそのまま残る貴重な書籍です。

この中には『金城(かねしろ)』のように「由来は古老に聞いてもわからず」と記述されている地名もありました。

地名というものは人によって言い伝えられてきたもので、その一番はじめの名前を考えた人や時代までたどり着くのは難しいです。

それよりも、言葉や読み方からその出自を想像して楽しんだり、自分の思い入れのある地名に愛着を持って接したりするのがよいのかもしれません。

掛川市中央図書館には掛川を知ることができる書籍が数多くあります

◼️ 抜け道&寄り道100景~掛川独自の地名

  • 『かけがわ』の発音のしかたで地元の人かどうかがわかる?

  • 平将門を討ち取った藤原秀郷が、将門の首を川に並べ掛けたところから「掛川」と呼ぶようになったという説もある


【引用・参考文献】
掛川市HP 地区・自治区・小区 掛川区域
『47都道府県地名由来百科』2015年発行 谷川 彰英 著 丸善出版
『掛川地名しらべ/掛川歴史教室編』
『日本地名大事典【上】【下】』2004年発行 吉田茂樹 著 KADOKAWA
『方言風土記』1995年発行 すぎもと つとむ 著 雄山閣
コトバンク