掛川100景 【No.16】 百観音
村人の無事を願い安置された観音像
掛川市北部にある倉真温泉(くらみおんせん)からおよそ1km。
新東名掛川パーキングエリアからすぐの場所に、100体を超える観音様が祀られる『百観音』はあります。
明治27年(1894年)に勃発した日清戦争で、戦地へ出征する若者の安否を願い建立された観音菩薩石像が、百観音のはじまりです。
百観音をどうミルか?👀
👀01. 観音像の数が増えたのはなぜか?
日清戦争後、戦地に出兵した倉真村の全員が無事帰還したことで、「倉真の観音様にはご利益がある」と評判が広まりました。
明治37年(1904年)に日露戦争がはじまると、各地から出征前にお参りする人が多く訪れ、戦地から無事帰還した人たちが、感謝の気持ちを込めて新たな石仏を寄進したため、観音像の数が増え、いつしか『百観音』と呼ばれるようになりました。
お参りに訪れる人で、参道は賑わったといいます。
しかし、昭和20年(1945年)の太平洋戦争で日本が敗れてからは、この場所を訪れる人が少なくなり、いつしか観音像も土に埋もれて、その存在を忘れ去られてしまいました。
👀02. 再び地域の名所になった百観音
百観音が甦ったのは昭和56年(1981年)のこと。土砂に埋もれ風化した観音像が何体も発見されました。
荒れ果てた観音像を元に戻し、供養をしたいと、百観音の復興がはじまります。
地域で『お観音祭り』も行われ、テレビでも取り上げられたことで、再び百観音が注目されるようになりました。
現在では、台湾や日本全国から感謝の気持ちを込めて奉納された観音像が180体以上祀られています。
👀03.百観音案内犬の逸話
倉真温泉にある老舗旅館『真砂館(まさごかん)』の愛犬ウィンキー(~1999年)は、宿に泊まったお客さんを百観音まで案内することで有名でした。
誰に頼まれたわけでもなく、毎朝宿の玄関へ現れ、百観音へ行く人がいないかと待ち、日に何度も宿から百観音までを往復していたウィンキー。
案内したお客さんは延べ10万人を超え、「まるで観音様への信仰や魅力を伝える使命感を担っているのかのようだ」と宿の利用者に言われていたそうです。
平成11年(1999年)にウィンキーが老衰で亡くなると、宿の前庭にウィンキーの銅像が建てられ、今も案内犬としての功績が語り継がれています。