掛川100景 【No.39】 吉行淳之介文学館
ダンディズムを貫いた作家 吉行淳之介の文学館
掛川市の北部、ねむの木村に芥川賞作家 吉行淳之介の資料を集めた『吉行淳之介文学館(よしゆき じゅんのすけぶんがくかん)』があります。
吉行淳之介文学館は市内唯一の文学館で、平成11年(1999年)5月に開館しました。
文学館には、全著作約400冊のほか、芥川賞受賞作『驟雨(しゅうう)』の手書き原稿、愛用の品や写真などが展示されています。
吉行淳之介文学館をどうミルか?👀
👀01. ダンディズムを貫き通した吉行淳之介
吉行淳之介は、大正13年(1924年)岡山市に生まれ、2歳の時に東京に移住しました。昭和17年(1942年)には旧制静岡高校文科丙類(仏文)に入学し、映画を見たり酒を飲んだりして青春時代を楽しんだようです。その後、東京帝国大学文学部英文科に入学していますが、学費を払わず除籍になっています。
雑誌編集に携わりながら、同人誌に作品を発表していた吉行ですが、昭和29年(1954年)に『驟雨』で第31回芥川賞を受賞し、安岡章太郎、遠藤周作らとともに『第三の新人』と呼ばれました。
昭和53年(1978年)に刊行された『夕暮れまで』は『夕暮れ族』という流行語を生み出し映画化もされました。
芥川賞など数多くの文学賞の選考委員も務め、小説だけでなく多くの随筆や対談などを残しましたが、平成6年(1994年)7月、肝臓癌により70歳で亡くなりました。
人の深み、奥底にせまる多くの作品や、ダンディズムを貫き通したその生き方にひかれる人が多くいます。
👀02. ねむの木学園の宮城まり子が文学館を発案
吉行淳之介文学館は、歌手・俳優の宮城まり子の発案により建設されました。
宮城は社会福祉施設『ねむの木学園』を設立した福祉活動家でもあり、吉行の生涯のパートナーでもありました。
ちなみに、ねむの木学園の名付け親は吉行淳之介です。設立当初、名前を絞りきれなかった宮城が、地方にいた吉行に候補名を書いて電報を打ったところ、「ねむの木学園がいい。それに決めたまえ」との返電が届いたそうです。吉行は、ねむの木学園の理事も務めています。
吉行が宮城まり子にふと「お茶をいただきたいな」と言ったのをきっかけとして、文学館には裏千家15代家元千宗室命名の茶室「和心庵」が併設されました。この茶室では、ねむの木の子どもたちがお点前をしてくれます(有料)。
👀03. 飼い馴らすと言って病気と闘いながら作品を生み出し続けた
吉行淳之介は、アトピー、喘息、腸チフス、結核、躁鬱、白内障、乾癬(かんせん)、肝炎など、さまざまな病気と闘い入退院を繰り返しながら多くの作品を書きました。
「持病というものは飼い馴らして趣味にするより仕方がない」と病弱の運命を悟ったような言葉も遺しています。
芥川賞を受賞した昭和29年(1954年)は結核のため病院に入院していて、その知らせは病室で看護師から聞いたそうです。
病気を持ちながら小説をはじめ多くの作品を残した吉行淳之介は、どんな想いで作品を作りつづけたのでしょうか。