掛川100景 【No.6】 獅子舞かんからまち
三頭の獅子が織りなす躍動感ある舞
掛川大祭の三大余興の1つに、瓦町の『かんからまち』という獅子舞があります(三大余興:「獅子舞かんからまち(瓦町)」、「大獅子(仁藤町)」、「大名行列(奴道中)(西町)」)。
三頭の獅子が舞う、かんからまちの歴史は古く、掛川城が築造された際に、今川氏の重臣である朝比奈備中守が牛頭天王社(現在の龍尾神社)に獅子頭を奉納したのが始まりと言われています。
かんからまちの舞は神格化された舞であり、当時、舞を踊る人は掛川城に草履であがることを許されていたそうです。
400年近く経った現在の掛川大祭でも「神様を見下ろすようなかたちになるため、2階以上からの観覧はおやめください」という注意がされるほどです。
かんからまちをどうミルか?👀
👀01.一頭の雌獅子を巡る愛の物語
かんからまちの獅子は、二頭の雄と一頭の雌の三頭のからなり、雄獅子が『龍』と『尾』、雌獅子は『山』という名前がついています。
かんからまちは二頭の雄獅子が雌獅子に求愛する舞です。
厳かな笛の音に囲まれた中、雄の『龍』と『尾』が太鼓を叩きながらからだを大きく上下させて、対峙して競い合います。最後は神前で和合するという筋立てになっていますが、舞の途中には獅子が側転する場面もあり、躍動感のある舞になっています。
400年前の掛川城で舞われたかんからまちを、当時の人はどんな思いで観ていたか想像してみましょう。
👀02.名前の由来はひとつではない
『かんからまち』は、一般的には舞が伝わる『瓦町』が訛ったものと伝えられていますが、他にもいくつかの由来が考察されています。例えば、以下のようなものです。
町の名前なのか、太鼓の音なのか、装飾なのか、あるいはもっと他のルーツがあるのか。そのような謎に着目しながら、かんからまちを探究してみるのも面白そうです。
👀03.瓦町の人々の思いが籠った花母衣(はなほろ)
掛川大祭では、子どもたちが花笠と花母衣をつけて、かんから獅子たちを先導して歩きます。
花母衣は、白い花を子どものからだを覆ってしまうような大きな傘状の幌(ほろ)のことで、瓦町の人々が手作りしています。
また、祭りの際には民家や商店の軒先に軒花が飾られますが、瓦町は他の町とデザインが異なっています。瓦町では、花母衣を作る際に軒花も手作りしており、花母衣と同じ立体的な形になっています。
👀04.岩手県遠野市への伝播
三頭の獅子が舞う型は、実は関東から東北地方にかけて広く分布しています。ただし、静岡県では掛川にだけ伝わっています。
不思議な感じがするかもしれませんが、実は、掛川のかんからまちが遠く離れた岩手県遠野市へと伝播し、しし踊り(遠野地方に伝わる獅子舞)のルーツになったという説があります。
実際、遠野にいた人物が掛川の地を訪れ、かんからまちを覚えて地元に帰り、伝えていったというような民話がいくつか残っています。
現在の遠野の駒木地区には、その民話のひとつに登場する、角助という人物の墓があり、看板にはかんからまちが遠野の『駒木ししおどり』へと影響を与えたことが記されています。
角助は、かんからまちを観てどのような点に心打たれ、どのような形で遠野へと伝播させたのでしょうか。
遠く離れた2つの地の文化が交わる瞬間に思いを馳せることで、また違った視点からかんからまちを楽しむこともできます。
◼️ 抜け道&寄り道100景~かんからまち
先代の獅子頭のたてがみには天紅という種類の鶏の尾羽が、新しい獅子頭には矮鶏(ちゃぼ)の羽が使われている
掛川には三頭獅子『かんからまち』の他に、仁藤町の『大獅子』、紺屋町の『木獅子』、複数の町が所有する『小獅子』が今も受け継がれている