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掛川100景 【No.43】 松本亀次郎

中国人留学生教育に生涯を捧げ、日中友好の架け橋となった人物

『松本亀次郎(まつもと かめじろう)』は、中国人留学生の日本語教育に生涯を捧げ、日中友好に貢献した掛川出身の教育者です。

亀次郎の教育を受けた中国人留学生には、中国の首相をつとめた周恩来(しゅう おんらい)や文豪の魯迅(ろじん)をはじめ、中国の発展を支えた多くの偉人がいます。

日本最初の方言辞典を編纂(へんさん)した人物であり、中国人留学生のための日本語辞典や教科書など、数多くの著書を残しました。

大東図書館にある松本亀次郎の銅像


松本亀次郎をどうミルか?👀

👀01. 『授業生』をきっかけに教える道を進む

7歳から学問を始め、11歳で小学校で教員を補助する『授業生』になった松本亀次郎は、小学校の教師・校長を歴任したのち、31歳で中等教員免許を受け、国語科の教諭となりました。

その後、佐賀県に教諭として招かれた亀次郎は、若いときから親しんだ言語学の力が認められ、佐賀県方言辞典の編纂をおこないました(方言の辞書は日本初)。

明治時代の中ごろになると、日本から学びを得ようと中国の留学生がやってきました。ただし当時の日本は中国人留学生を受け入れる環境は十分ではなく、優秀な日本語教師を求めていました。

中国人留学生のために設立された『宏文(こうぶん)学院』で、教師として白羽の矢が立ったのは、亀次郎が37歳のことでした。

順調に教師の道を歩んでいた中で、まったく未知の、中国人留日学生に日本語を教えるという仕事をすることになった亀次郎の想いはどんなものだったでしょうか?

生家跡は松本亀次郎公園として整備されています

👀02. 日本人向け教師を辞めて私財を投じて学校を設立

その後、亀次郎は現在の北京大学に日本語教授として招かれ、文語文法などを4年間教えました。

帰国後、再び日本人向けの教師となりますが、1年半ほどで辞め、私財を投じて1914年に『日華同人共立 東亜高等予備学校』を創立。数万人と言われる数の中国人留学生が亀次郎の学校で学んだそうです。

亀次郎の教え子には、中国の発展を支えた多くの中国の偉人がいます。宏文学院での教え子には現代中国文学の父と呼ばれる魯迅や、中国婦人解放運動の先駆者となった秋瑾(しゅうきん)が、東亜高等予備学校時代の教え子には中華人民共和国の初代首相となった周恩来がいました。

👀03. 自身の老いに気づかぬほど留学生教育にすべてを捧げた

亀次郎が生きた時代は、世界各地で戦乱が起き、中国との関係も良好だった時期ばかりではありませんでした。そのため中国からの留学生が日本人から差別や迫害を受けることもありましたが、亀次郎は常に留学者に寄り添い、日本語教育活動を地道に続けました。

亀次郎がその半生を振り返り語った言葉にその情熱が見てとれます。

「私にとって、中国人留学生の教育は、無上の至楽であり、終身の天職であった。功名や富貴は眼中になかった。貧乏ではあったが地道に仕事をして、今日に至るまで、体の老いにも気付かないくらいであった」

掛川市HP|松本亀次郎より

その心が現代の中国の人々にも届いているのでしょう。平成31年(2019年)に中国天津市から掛川市へ松本亀次郎と周恩来の、ろう人形が寄贈されました(大東図書館2階『郷土ゆかりの部屋』に展示)。

力強く握手する周恩来(左)と松本亀次郎(右)のろう人形

そして令和3年(2021年)には生家跡である松本亀次郎公園に、亀次郎の功績を伝える『鶴峯堂(かくほうどう)』が完成しています。

鶴峯堂の中に、亀次郎の功績や教え子の解説もあります

中国人留学生教育に生涯を捧げた松本亀次郎の行動を支えた『日中親善』の心を、みなさんはどのように捉えますか?

◼️ 抜け道&寄り道100景~松本亀次郎

  • 松本亀次郎の教え子には、東京女子医科大学創設者の吉岡彌生(よしおかやよい)もいた

  • 渋沢栄一が寄付を募って亀次郎を助けたエピソードが残っている

松本亀次郎公園
所在位置:〒437-1435 静岡県掛川市上土方嶺向2069

大東図書館
所在位置:〒437-1421静岡県掛川市大坂7152
TEL:0537-72-1143
開館時間:午前9時~午後5時 / 木曜日は午前9時~午後7時
休館日:
毎週月曜日
毎月最終金曜日(月末整理日)※8、12、3月は除く
年末年始(12月29日から1月4日)
特別整理期間(蔵書点検)
年度末休館日 3月31日

参考文献:
高橋 良江. 中国人留日学生の日本語教育を通して松本亀次郎が果した役割について. 佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 = The Bukkyo University Graduate School review. Compiled by the Graduate School of Literature / 佛教大学学術委員会, 文学部編集委員会 編. (40):2012.3,p.53-70. https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R000000004-I023629112