掛川100景 【No.30】 掛川古城
掛川城攻防の重要な出城(でじろ)として機能した古城
掛川古城は、15世紀末に今川氏の重臣・朝比奈泰煕(あさひな やすひろ)によって築かれた戦国時代の城跡です。
掛川古城は現在の掛川城の東500mに位置し、永禄11年(1568年)の徳川家康による掛川城攻めの際には、今川方の重要な出城(でじろ)として機能しました。
現在お城自体は残っていませんが、城の敷地を区切る曲輪(くるわ)や、曲輪を分断する大堀切(おおほりきり)などを目にすることができます。
秋は紅葉が美しく、掛川城や二の丸茶室、掛川ステンドグラス美術館など、周辺には見どころも多いです。
掛川古城をどうミルか?👀
👀01. 龍の姿を描く3つの山
掛川には『龍の姿を描く』とされる3つの山が存在します。
現在掛川城のあるところが『龍頭山』、掛川古城のある子角山(ねずみやま)が『龍胴山』、さらに北にある龍尾神社が『龍尾山』とされており、3つの山が一連の峰でつながり、その様子が『龍が地上に横たわっている姿』に似ていることからそう呼ばれていたそうです。
また掛川古城のある子角山(ねずみやま)は別名『天王山』とも呼ばれ、戦国時代の重要な拠点としても知られています。
永禄11年(1568年)に徳川家康は掛川城を落とす足掛かりとして、当時まだ出城として機能していた掛川古城に猛烈な攻撃を仕掛け、奪取に成功。
この出来事により、掛川古城が『掛川城攻防の天王山』と呼ばれるようになりました。
👀02. 掛川古城の中央に位置する『龍華院大猷院霊屋』
掛川古城の跡地には『龍華院大猷院霊屋(りゅうげいんたいゆういんおたまや)』があります。
この霊屋は徳川家光の霊牌(れいはい)を祀る建物で、当時の掛川城主である北条氏重(ほうじょう うじしげ)が建立しました。
龍華院大猷院霊屋は見慣れない漢字ばかりで難しく感じますが、それぞれの意味を理解すると覚えやすいです。
龍華院(りゅうげいん):霊屋が建てられた寺院の名前
大猷院(たいゆういん):徳川家光の戒名(かいみょう)
霊屋(おたまや):霊牌を祀るための建物
龍華院大猷院霊屋の造りは、三間四方(さんげんしほう)の方型造り(ほうぎょうづくり)で、全体に漆塗りが施された、小振りながらも荘厳な御堂です。
👀03. 掛川古城にある『西郷の局』の石碑
掛川古城跡にはいくつかの石碑が残されていますが、その中でも注目すべきは、2代将軍徳川秀忠(とくがわ ひでただ)の生母「西郷の局(お愛の方)」の碑です。
この石碑は、西郷の局の生誕470年を記念して令和4年(2022年)に建立されました。
西郷の局は掛川市西郷にある構江地区の出身で、構江という地名はそこに屋敷が「構え」ていたことに由来するとされています。
掛川古城にある石碑を読み解くことで、戦国時代から江戸時代にかけての掛川の歴史をより深く理解することができます。
◼️ 抜け道&寄り道100景~掛川古城
龍華院大猷院霊屋の中は通常は非公開だが、令和4年(2022年)の再建200周年記念で特別に公開された
子角山公園からは龍尾山や粟ヶ岳、八高山などの市内の山々を見渡すことができる(天気が良ければ富士山も見える)