掛川100景 【No.33】 掛川城御殿
掛川城御殿は、掛川市に残る江戸時代後期の貴重な建物です。
文久元年(1861年)に再建された現存の御殿は、全国でわずか4カ所しかない城郭御殿の一つとして、昭和55年(1980年)に国の重要文化財に指定されました。
掛川城における、藩の公的式典の場、城主の公邸、政務を司る役所という3つの機能をあわせ持つこの御殿では、城主の暮らしや藩の仕事の様子を想像することができます。
掛川城御殿をどうミルか?👀
👀01. 日本に4つしか残されていない貴重な城郭御殿
掛川城御殿は、日本に現存する4つの城郭御殿の一つであり、歴史的な観点からも重要な建物です。
江戸時代、多くの城には御殿がありましたが、明治維新後の廃城令(はいじょうれい)で取り壊されてしまいました。
掛川城御殿は廃城と同時に学校などに転用され、その後も町役場や市庁舎、農協など、さまざまな形で地域にとって重要な施設として活用され続けてきました。
ちなみに掛川城御殿以外に現存するのは、川越城(埼玉)、二条城(京都)、高知城(高知)にある3つの御殿です。
訪れた際は、掛川城御殿と比べながらどんな違いがあるか見てみましょう。
👀02. お殿様の日常生活とは?御殿の造りと間取りから見る江戸時代
掛川城御殿は『書院造り』の建築様式で建てられた、木造瓦葺(かわらぶき)平屋建ての建物です。
書院造りとは、室町時代から江戸時代初期にかけて発展した日本の伝統的な建築様式で、
畳を敷き詰めた部屋(座敷)が連なる構造
床の間、書院窓、棚などの座敷飾り
引き違いの建具(ふすまや障子)による間仕切り
などが特徴です。
掛川城御殿の建物は7棟からなり、約20の部屋が連なっています。
代表的な棟である『書院棟(しょいんとう)』『小書院棟(こしょいんとう)』『諸役所棟(しょやくしょとう)』の役割をそれぞれ紹介します。
『書院棟(しょいんとう)』
書院棟は、重要な対面儀式がおこなわれる場所です。
主室の『御書院上の間』と、謁見者(えっけんしゃ)の控える『次の間』などから成ります。
『小書院棟(こしょいんとう)』
小書院棟は城主の公邸としての機能を持った場所で、『小書院』と『長囲炉裏の間』などから成ります。
『諸役所棟(しょやくしょとう)』
諸役所棟は藩政を司る場所で、目付や奉行などの各役職に応じた部屋、警護の詰所(つめしょ)、帳簿付けの賄方(まかないかた)、書庫の御文証(ごぶんしょう)などがあります。
それぞれの部屋を使っていた人物を想像しながら巡ってみると、当時の様子がより見えてくるかもしれません。
👀03. 身分で入口が変わる!?御殿の決まりごと
武家社会には厳しい身分制度があり、それは施設の使い方からも知ることができます。
掛川城御殿では身分によって入口が使い分けられており、城主や家老が『式台玄関(正面玄関)』、その他の武士は『玄関東側』、足軽は『北側の土間』を使用していました。
身分によって入口が使い分けられることは、掛川城御殿に限らず全国の多くの城郭や大名屋敷などでも同じだったようです。
当時のしきたりやルールを知ることで、御殿が当時どのように使われていたかを想像しやすくなります。
◼️ 抜け道&寄り道100景~掛川城御殿
掛川城御殿は映画の撮影場所として使われたことがある
『御書院上の間』の掛け軸に書かれている文字は『虎』
長囲炉裏の間の天井には、煙を逃すための『煙抜き』が設置されている